有限会社ゴーチ・ブラザーズ代表取締役/阿佐ヶ谷スパイダース制作代表。早稲田大学在学中に演劇活動を開始し 00 年より「阿佐ヶ谷スパイダース」の制作代表を務める。その後株式会社アール・ユー・ピーを経て、04 年に有限会社ゴーチ・ブラザーズを設立し代表を務める。最近の主な参加作品に、葛河思潮社『浮標』(世田谷パブリックシアター他)、阿佐ヶ谷スパイダース『あかいくらやみ』(Bunkamuraシアターコクーン他)などがある。
オーストリアのfifoo.programがお送りする企画「pinwheel」。 日本公演に伴い今回自分の身体を使いこなすためのウォーミングアップ法や鍛錬法、 個々の表現と向き合うためのコンビネーションの練習とその即興性について講師達が同じテーマのもと 交代のリレー形式で講習会を開きます。踊るということに人生をかけて来た講師達と共に、 自分のベースとその発展性に今一度焦点を当ててみましょう。 終了後講師達と一緒に話をする機会を持てる座談会なども予定しています。
ロームシアター京都/KYOTO EXPERIMENT プログラムディレクター。97年より演劇活動を開始、京都芸術センター事業「演劇計画」などの企画・制作を手がける。10年よりKYOTO EXPERIMENTを企画、プログラムディレクターを務める。舞台芸術制作者オープンネットワーク(ON-PAM)理事長。ロームシアター京都開設準備室。 写真:OMOTE Nobutada
Dance Company BABY-Q主宰・振付家・ダンサー。劇場やオルタナティブスペース、野外などにて数々の作品を発表。ソロダンサーとしても即興ミュージシャンとのセッションを多数行う。トヨタコレオグラフィーアワードなど受賞歴あり。02年より継続してダンスWSを実施している。また、「HE?XION!TAPES」をカジワラトシオとともに立ち上げ、洋服デザインやイベント企画、CDリリース等を行う。全日本ダンストラック協会代表。 写真:BANRI
G'dKingZ Ent.代表。DANCERとして関西を中心に活動しDANCEだけでなくSTREET BRAND WHOLENINEの専属モデルや独自でイベントプロデューススクール展開・自社BRAND GROOVE DIGGERZ等をまとめるまさにエンターテイナーの名にふさわしい逸材!!
1979年モーリス・ベジャールのムードラ(ブリュッセル)に入学。同校でアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルと出会い、1983年共にローザスを結成。2007年以降は自身の作品も創作。アラン・プラテルと共に創った「ナインフィンガー」イギリスの演出家ティム・エッチェルスと共に創った「in pieces」、ニューヨークの演劇グループ、ネイチャー・シアター・オブ・オクラホマと「Life&Times Episode2」を発表。2013年10月、日本・ベルギー共同制作の「amness」を山田うんと発表。
師石井漠、S・メッセレル。フルブライト研究員でジュリアード音楽院卒。国際的な活躍をする舞踊家。活動は他ジャンルの仲間と現代の問題を多角的に掘りさげ新鮮で鋭い作品を発表し続ける。近年アジアへの視点の重要性を再確認し若い仲間達とプロジェクトを設立して交流をはじめる。愛・平和への祈りをこめて踊る『かほるのゲリラダンス・旅のとちゅう』は行脚中。 新作『路上』を7月に東京D-Pratzeで発表。
ラバンセンター にてコンテンポラリーダンスを学ぶ。1999年帰国、Dance Theatre LUDENS設立。LUDENSの演出、振付を行う。国内の他、オーストリア、アメリカの著名なフェスティバルより招聘を受ける。01年横浜ソロ×デュオコンペティション【横浜市文化振興財団賞】及び【在日フランス大使館賞受賞】。【平成16年度舞踊批評家協会新人賞】受賞。近年、東京国際ダンスワークショップReActionを主催。日本女子体育大学舞踊学専攻講師。
即興ダンス/山海塾舞踏手。<交感(コミュニケーション)としての即興ダンス>の可能性を追求。かつて精神的危機から自分のからだを再確認することで立ち直ったという経験を原点とするソロダンスは、等身大のからだひとつで立つことから始まり、場との交感から生まれる即興として踊られる。滋賀県/湖南病院(精神科)「ダンスセラピーの試み」を継続実施中。http://www.iwashitatoru.com/ 写真:山下恒徳
振付家、ダンサー、ダンス講師。NYCを拠点に活動している。2001/08年に「ベッシー賞」を受賞。90~94年トワイラ・サープ ダンスカンパニーのメンバーとして活躍し、09年に再び協働。彼女の作品は、ダンス・シアター・ワークショップやラ・ママをはじめ海外のフェスティバル等で数多く上演されている。また、トリッシャ・ブラウンダンスカンパニーにゲストダンサーとして出演、演出助手も努めた。 (写真:Kris Murphy)
神戸生れ。3歳初舞台。父、祖父(共に観世流能楽師)のもと数々の子方を勤める。18歳故上田照也師に内弟子入門。25歳独立以後数々の舞台を勤める。平成16年重要無形文化財総合指定に認定。海外公演にも多数参加,子どもの教育にも尽力している。現在、笠田昭吟会主宰。公益社団法人能楽協会 神戸支部常議員及び教育特別委員。神戸観世会、日本能楽会会員。上田同門会所属。重要無形文化財総合指定保持者。カルチャーセンターや関西学院大学能楽部講師。
振付家・ダンサー、信州大学人文学部准教授。 95年文化庁派遣在外研修員としてベルリンに留学。国内外にて作品発表し、モントリオールHOUR紙「ベストダンス作品賞」などの受賞歴もあり、各国で絶賛を得る。10年からソロ活動を開始。12年インドネシアとの国際共同作品『To Belong』を推進。ジャカルタ、東京、神戸、13年茅野市民館、シンガポールにて公演、14年は青山円形劇場で新作バージョン発表。ほか、インドネシアダンスオペラ「Gandari」の振付、ソロ企画予定。
舞踊史・舞踊理論研究、批評。「C/P」、「京都芸術センター通信」、カルチュラルウェブマガジン「log-osaka」、「シアターアーツ」他に執筆。2005年よりdance+[http://www.danceplusmag.com/]を運営、京都国際ダンスワークショップフェスティバルでビデオサロンやドキュメント活動を行う。08年より演劇計画ブレインを経てKYOTO EXPERIMENTアドバイザー。 12年秋学期に神戸女学院大学で舞踊史を担当。ダンスについて様々な人が視点を交換できる場に興味があります。
1952年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科卒。舞踊研究・評論。現在、多摩美術大学客員教授、明治学院大学・立教大学等で非常勤講師。舞踊学会理事。「舞姫の会」(土方巽研究会)主宰。著書『夢の衣裳、記憶の壺――舞踊とモダニズム』、編著『見ることの距離――ダンスの軌跡1962~1996』、共編『日本洋舞史年表』、 最近の論文では「「病める舞姫」試論」(『土方巽――言葉と身体をめぐって』収録、角川学芸出版2011年) (写真:中村博)
98~08年NY在住、NY州立Purchas大学、大学院ダンス科を卒業(平林和子に師事)。NY新人振付賞を受け、現在に至るまでNY,スペインを中心に創作、公演活動を続ける。06年よりイスラエルを往来、オハッド・ナハリン(バットシェバ舞踊団芸術監督)の考案したダンスメソッド、GAGAを日本で広める活動を始める。09年日本人として初めてのGAGA講師の許可を得る。現在GAGAJapanプロデューサーhttp://gaga-japan.org 神戸女学院大学舞踊専攻非常勤講師。
82〜85年NY滞在中から現在もジャドソン・グループを追いかけるミニマリストと過剰の両極端でダンスする。子どもの文化 芸術体験事業や、社会・地域連携プログラムに参加。舞踊コンクール第1位、新人賞、優秀賞、舞踊批評家協会賞、日本ダンスフォーラム賞、ニムラ舞踊賞など受賞。 写真:のぎすみこ
国際舞台芸術ミーティング (TPAM) in 横浜 ディレクター、国際舞台芸術交流センター(PARC)理事長。2003年ポストメインストリーム・パフォーミング・アーツ・フェスティバル(PPAF)を創設。08年・11年IETMサテライト・ミーティング開催。12年、サウンドに焦点を当てたフェスティバル「Sound Live Tokyo」を開催、ディレクターを努める。 国際舞台芸術ミーティング http://www.tpam.or.jp 国際舞台芸術交流センター http://www.parc-jc.org/
バレエスタジオセルピエ主宰。舞台芸術監督・振付・指導を担う。7歳よりバレエを始め、17歳Vaganova Ballet Academy(ロシア)へ留学。法村・友井バレエ団を退団後、ジャズ・モダンダンス・ピラティスを学ぶ。01〜04年Dance Company ca-ballet在籍。01‐06年 北村成美「i.d.」影絵ダンサー。ダンスユニット「TEN+三林かおる」等で活動中。バレエ講師歴22年。フロアバレエクニアセフメソッド指導コース修了。
舞台照明家。東京都出身。ダンスボックスの始動時からの照明スタッフ。 多くの振付家・演出家・ダンサーと作品作りをともにする。最近のおもなデザイン作品 11年「BLACk AND WHITE」Pichet Klunchun 振付・演出、12年「Thikwa+Junkan Projekt」砂連尾理振付・演出、13年「ASLEEP TO THE WORLD」中村恩恵振付・演出。「錆からでた実」森下真樹・束芋構成・演出。
ダンス批評家、振付家、群馬県立女子大学文学部准教授。20世紀のアジアを軸とするダンスのグローバルヒストリーと新しい振付の理論を研究。共著『バレエとダンスの歴史』(平凡社、2012年)、論文「大野一雄の1980年」(『群馬県立女子大学紀要』第33号)等。韓国のダンス雑誌『몸』で時評を連載。Indonesian Dance Festival(ジャカルタ)共同キュレーター。
off the mat 主催。米国ハワイ州ヨガハワイにてRupali、Tania Jo Ingrahamの指導のもと全米ヨガアライアンス取得。Paul Grilley指導のヨガ解剖学、インヨガ指導者養成修了。東洋医学の考えをヨガに取入れた沖ヨガ指導者養成修了。主なヨガの指導はハタヨガ、ヴィンヤサスタイル、インヨガ。ヨガは人生をよりよく生きるための哲学。自分らしく生きるために、ヨガのあるライフスタイルを提案、普及に努めている。
日本舞踊宗家藤間流師範名執藤間勘那恵。2006年NY大学客員研究員、10年ベルリン自由大学で博士号取得後、11年より日本学術振興会・特別研究員(PD)。04年からNY及びベルリンで、ダンス・ドラマトゥルクとしても活躍。12年には、ベルリンでダンスシンポジウムを開催。ドラマトゥルギーとしては、砂連尾理「劇団ティクバ+循環プロジェクト」などがある。他、講演・論文・パフォーマンス多数。
株式会社プリコグ代表取締役/NPO法人ドリフターズ ・インターナショナル理事。2004~08年STスポット横浜プログラム・ディレクター。04年より吾妻橋ダンスクロッシング、チェルフィッチュ、ニブロール、康本雅子などの国内外の活動をプロデュース。11年より日本大学芸術学部非常勤講師。12年5月、大分/別府にフリースペースPUNTO PRECOGオープン。
国内ダンス留学@神戸1期生。86年大阪府出身、在住。パフォーマンスグループ ウミ下着主宰。大学在学中にコンテンポラリーダンスやポストドラマ演劇に出会い、創作を始める。〈芸術は社会に対して何ができるのか〉という問いかけを前提に創作している。11年「横浜ダンスコレクションコンペティションⅡ」出場。12年「混浴温泉世界」参加。同年、エイチエムピー・シアターカンパニー「アテンプツ・オン・ハー・ライフ」に振付として参加。 写真:田添幹雄
元ギリシャ代表新体操メンバー。仏の国立ダンス学校「ロゼル・ハイタワー」、独のフォルクヴァング芸術大学で学ぶ。ピナ・バウシュの「春の祭典」出演の他、様々な振付家や音楽家と共同して作品を上演。現在パリを拠点に、若手ダンサーの指導や国内外で振付家、また、ダンサーとしての活動も続けている。
サウンドエンジニア/音楽家。オルタナティブスペース"BRIDGE"の運営、経験を経て、現在いろいろなアーティストのレコーディング、ライブサウンドを担当。また舞台作品でも"Thikwa +循環プロジェクト",コンタクトゴンゾの作品"Abstract Life"(マルチトラック録音、マルチチャンネルサラウンド再生)等 のサウンドエンジニアリングを担当。音から物事を考える。専門学校講師。
森美術館元マーケティングコミュニケーショングループ マネージャー。1989年森ビル入社、文化事業部に配属。新規プロジェクトの立ち上げに参画後、スクール、ライブラリー、フォーラム事業が一体となった教育・研究拠点「アカデミーヒルズ」のコンセプトプランニング、事業の立ち上げに携わる。マーケティングコミュニケーションおよびスクール事務局を経て、2009年3月~2013年6月まで森美術館に在席。
Ensemble Sonne主宰・振付家。ドイツFolkwang芸術大学舞踊科卒業。現代に生きる私たちの共通の身体を通して、人間の実存を問う作品づくりを目指し、神戸を拠点に活動。96,98,04年旧バニョレ国際振付賞日本プラットフォームに選出。 舞台作品の発表のほか、即興公演も継続に行なっている。 写真:黒沼善裕
1973年 横浜生まれ。演劇作家/小説家/チェルフィッチュ主宰。従来の演劇概念を覆すとみなされ国内外で注目される。『三月の5日間』で第49回岸田國士戯曲賞受賞。デビュー小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』(新潮社)で第二回大江健三郎賞受賞。12年より岸田國士戯曲賞審査員を務め、13年『遡行 変形していくための演劇論』(河出書房新社)刊行。
38年東京生まれ。59年土方巽の「禁色」で少年役を演ずる。以後アルトー館、暗黒舞踏派公演に参画。69年初リサイタル後に舞台活動を中断、85年「死海」の大野一雄との共演でカムバックした。86年以降大野一雄の全作品を演出。98年、郡司正勝氏の遺稿を基に自身のソロ作品「ドリアン・グレイの最後の肖像」を上演。近作に10年「たしかな朝」、11年「Inbetween」、12年「時の風」等。写真:大野一雄舞踊研究所
鳥の劇場 制作担当。1974年東京都生まれ。舞台照明会社に5年間勤務したのち、2006年鳥取県に移り、鳥の劇場の立ち上げに参加。現在は制作専任で、鳥の劇場の劇場運営から公演・演劇祭の制作、海外とのプロジェクトまで幅広い業務を担当する。舞台芸術制作者オープンネットワーク(ON-PAM)理事。鳥取県智頭町在住。
ダンスカンパニーMonochrome Circus主宰。作品はヨーロッパそしてアジア十数カ国で上演されている。grafの家具との問答『TROPE』,建築とコンタクトする『Dance in Building』などCIの領域を拡張してきた。水戸芸術館ACM劇場、北九州芸術劇場や学校現場など様々な「場」でCIの指導を行う。現在天理医療大学非常勤講師、京都精華大学非常勤講師。 写真:Sajik KIM
関西を拠点に国内外を問わず幅広く活動を展開する結成15年のダンスカンパニー。緻密な身体操作と繊細な作品創りで多様な解釈を誘発する作風に定評を得る。隅地茉歩(TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD 2005「次代を担う振付家賞」受賞)、阿比留修一(「平成8年度大阪府芸術劇場奨励新人」認定)共にアウトリーチ事業で130校を超える教育機関を訪問する他、あらゆる世代の人々にダンスを届けるべく全国各地へ遠征の日々を送る。 http://www.selenographica.net/
「フェスティバル/トーキョー」プログラム・ディレクター。2002年よりNPO法人アートネットワーク・ジャパン所属。主な活動に東京国際芸術祭「中東シリーズ04-07」、横浜の芸術創造拠点「急な坂スタジオ」設立およびディレクション(06-10年)。第一回のF/T09春より現在まで、F/Tの全企画のディレクションを行っている。
「身体と心に届くダンス」を生み出すべく公演・WS・アウトリーチに取り組み、渇望を抱えつつ年間2分の1を遠征で過ごす。源氏物語の研究者から転身して20年、セレノグラフィカ結成から17年、トヨタコレオグラフィーアワード「次代を担う振付家賞」受賞から9年。不思議で愉快、明るくて恐ろしい作風の振付家。今秋から京都精華大学で「身体表現論」を講義。 http://www.selenographica.net/
97年アスベスト館にて舞踏を始め、カンパニー「金魚」主宰。しなやかで繊細に、且つ空間からはみだすような強靭な身体・ダンスで、多くの観客を魅了する。国内外、屋内外を問わず、公演・WSを行い、08年トヨタコレオグラフィーアワードでは「次代を担う振付家賞(グランプリ)」を、12年フランス・パリ市立劇場「Danse Elargie」では10組のファイナリストに選ばれた。 www.suzu3.com 写真:Hiraku Ikeda
1998年大駱駝艦入艦。舞踏家・俳優である麿赤兒に師事。緻密な振付で構成する作品には、新たな舞踏の可能性が注目されている。08年文化庁新進芸術家海外留学制度により、フランスのジョセフ・ナジの元へ留学。舞踏の特性を活かしたワークショップは幅広く好評を得ている。第34回舞踊批評家協会賞新人賞受賞。
1970年横浜生まれのダンサー/振付家。自身の体を素材とし実験する作品『私的解剖実験』シリーズを制作。体の観察から、関わりそのものの観察まで視座を広げ、小さな単位の物事を多角的に照らし出す。現代に生きる人々および自分にとっての前提を揺さぶり、世界を認識する多様な感覚へと可能性を開き続ける。10年から、日本を始め様々なアジアの民俗芸能を調査している。
2006年にcontact Gonzoを立ち上げ各国のダンスフェスと美術展で作品を発表。幼少期にアメリカに滞在、帰国後、中学時にヘミングウェイ「老人と海」を翻訳、以降は趣味で映画を録音し台詞を丸ごと暗記する等を経て英語を勉強。ゴンゾの制作もほぼ自分で行う。TOEICは975点。 写真:ミカジリ
戯曲家・演出家・フェスティバルディレクター。93年神戸大学在学中に劇団☆世界一団を結成。現在はsunday(劇団☆世界一団を改称)の代表で、全ての作品の作・演出を担当。またパフォーマンスグループ・オリジナルテンポの演出も行い、今までにアジア・ヨーロッパを中心に数多くの国際演劇祭に招聘される。韓国、スロベニアにおいて国際共同製作も手がける。最近ではオペラの演出も行う。