季節のクランベリークレープ
こんばんは。
本日、『小さな家より』の一部稽古場メンバーは大阪へ出張、
成果上演のためのナイスな衣装を無事にワレワレの手のなかへ納めました!
本日私は、①朝大阪へ行く前、②夜の稽古前、③夜の稽古後
と計3回も近所のローソンを覗いたのに、あのサクフワパリパリ甘々のパン
「クイニーアマン」とついに1度も出会えなかった。あはれ、野田容瑛です。
(↑ヨンキちゃん、夢のツーショット)
◇◇◇◇◇
今日の稽古場は、今ある振付をよりヨイものに編集していく作業。
引き続き、振付について考えつつ。
昨日の稽古で、とあるユニゾンの振付をもっと質感のあるものに作り直していこうということになり、その続きをずっとやっていました。
ダンサーが全員で踊っていくところを私が見て、
動きのニュアンスや質感、リズムや間の取り方などにさんざん変更を加えていき・・・
そうしてやっと、ひとりずつの踊りをお互いに見て、感想。
「踊りながら想像していたものと、実際に見えるダンスが全然違う・・・」
と、ダンサーたちは驚いていたのでした。
もっと、振付のなかでたくさんのことが起こっていると思っていた。
でも実際は、思うほどなんにも起こっていなかった!と。
私としては、動作自体は昨日よりもずっと抑揚のあるものに変えられたけれど、
確かにまだまだ見えてくるものは弱いと思った。
1月のショーイング公演前に、
ダンスボックスの事務局長でありダンサーである文さんから、
「こう踊ればこう見えるやろ、と思ったら終わりや」
という言葉を頂いたことを思い出します。
全員が同じ踊りを同時に踊る「ユニゾン」に挑戦する理由は、
何よりも「“完全なユニゾン”は不可能だから」というところにあります。
ひとりひとりが別々の身体を持ち、それを共有できない以上、
「ユニゾンはフカノウ」!
みんな、ひとりきりで踊るしかないのです。
ひとりで踊ったうえで、はじめて人と踊れるのだと思う。
ロックでポップでパセティックな、“ユニゾン”。
さて、ダンサーたち自身の感想を受けて、
それまではメトロノームで動きを揃えていたのを、
無音のなかで踊っていくことにしました。
カウントでつくった振りを基盤にはしつつも自分の身体感覚で間(ま)を取り、
けして「人とタイミングを合わせよう」と思わずに、
前だけを見据えているフリして実は何にも見ていない“遠い目”もせずに、
だけど孤独の殻にくるまれてひとりでうぬぼれもせずに、、、
ああ、難しい。
でも、頑なに均一なビートを刻んでいたカウントの制限を無くすことによって、
この振付に光が見えた、と確かに思いました。
身体自体から、ダンスを次の瞬間へと運ぼうとする意志のようなものが見えた。
このユニゾンを踊れたら、ようやく作品をスタートできるのだ、と思います。
さてさて、こうして言葉にするのと合わせて、
これからまだまだ試行錯誤をかさねてゆきます。
今日はこのあたりで。