Artist Interview vol.4 平原慎太郎
ー平原さんにとって、いいダンサーとは?
まずは、“ひとり”で立てるダンサーであるということです。つまりソロで踊れる人。テクニックの面で言うと、いくら立ち方がよくても、その人に何らかのテクニックが無い場合、僕は良いダンサーとは思わない気がします。やっぱり進行形ないし、過去に日々稽古を積み重ねた期間があって何らかのテクニックを習得している。そこで初めていいダンサーに到達する気がします。 それがそもそもの前提条件だと思います。ダンサーで居ようとする意識があって、その後にいいダンサーかどうかだと思いますね。テクニックとは具体的に何かとかは難しいですけど。
ーでは、平原さんの作品でお声がけするダンサーは、基本的にある程度のテクニックを共有できる人でしょうか?
そうですね。例えば僕のカンパニーでいうと、全員がバレエ経験者ではないですし、全員がコンタクトに長けているという事でもありません。抜群にインプロが上手い人間もいれば、そうじゃない人間もいる。だから、なにを以ってテクニックっていうのかは曖昧です。 ですが、彼らが各自で持つそれぞれのダンサーとしてのアイデンティティというか、パーソナリティの水準っていうのはかなり高いです。例えば町田というダンサーはバレエの基礎がしっかり入ってながらコンテンポラリーダンスのキャリアも多く、日々稽古を積んでる。そういった体を持ちながらアイデアを共有できる脳を持っている事が前提条件ですかね。
ーある意味で言うと、共通したテクニックをもってないダンサー同士でも作品をつくることができると。
それはできると思います。僕がもってないテクニックでも構わないです。ただ、その人自身の持つテクニックの強度が高いかどうかだと思います。
ーかつ、1人で立つことのできるカラダであるっていう。
そうですね。
ー平原さんは作品をつくる際に、ダンサーから作品をつくるのか、コンセプトやテーマから作っていくのか。どうですか。
テーマが先にあることが多いです。 ただ、ワークショップ作品や、初めて会う方と作品をつくる場合は、タイトルからの場合が多くなります。テーマからの創作は出演者やスタッフとの話し合いや、現場以外での時間を要する理由があります。
僕の場合タイトルからだと現場での作業が重要になるんです。ストックしてあるタイトルと、出演者の顔と踊りをみて、クリエイションが始まる。知らない方へ振付をする時はその人たちから何かをもらう。アイデアというか、インスパイアされたもので作品をつくっていくことが多いです。
ーどのようなプロセスで、ムーブメントや、振付を紡ぎ出していきますか。
そうですね…一概に言えないですけど、振りを渡して、客観的な視点で進めていく、次の場面を想像してつくることもありますし。重要なのは振りを僕が渡した時に、それを踊るその人のカラダが醸し出す雰囲気っていうのは、作ろうと思って作れるものではないので。その雰囲気を壊さないようにシーンを作ることを心がけています。
ー今回のように、すでにある作品を別のダンサーでリメイクする試みはよくありますか?
あんまりないですね。
ー楽しみですね。
すごい楽しみですよ。ほんとに。
ー作品をつくったら同じメンバーで再演することはあったとしても、他者とすでにつくったものを共有するっていうのは、なかなかないのですね。意外でした。
そうですね。過去に一回だけですね。今回は自分のカンパニーメンバーと創作した作品の再演になります。初めての試みです。
ー平原さんは群舞をよくつくられるイメージがありますね。
群舞もソロも。趣味はソロパフォーマンスなので。
ーご自身のソロ。
はい。ソロ作品の数、半端ないですね。
ー趣味なんですか。
趣味というのは、日常的につくっているという意味で。
ー自作自演を継続している人って、そこまで多くないように思います。
始めの発言に戻るのですが、“ひとり”で立てることが前提条件なんですよ。なので、自分も“1人”で立つことが当たり前でいたいっていうか、そのための気持ちのトレーニングも含めて。やることが当たり前っていうのに近いですね。
ー他者のソロをつくる時と、ご自身のソロをつくる時の違いはありますか。
あります。他者の振付をしている時は、その人がどう考えてるとか、どういう思いでそれをやったのかとか、なぜ体がそう反応したのかということを考えますね。他者にはなれないので。 で、自分のソロでは、自分が思ったこととか、その振りを踊ったから感じることをダイレクトに次の流れにしたりという作業ですよね。連想と体感ですから全然やってることが違います。ソロの作品をつくっているという意味では一緒なんですけども。1人で自分と会話をしてるのか、他人と会話をしてるのかっていう違いがあるというか。やっぱり、全然違いますね。
ー他者のソロをつくる時と、群舞をつくる時とどう違いますか。
他者のソロ作品をつくるっていうのは、結局、見ている人に想像で補完させる部分が多いような気がするんですよ。そこがすごく魅力でもあるし、その人自身がどこまで人に想像力を喚起させることができるかという意味で、ダンサーの力が試されるようなイメージがあります。 それができるダンサーが僕にとって、すごく魅力的なんです。 で、群舞っていうのは想像の補完を具体的に他人でできるっていうのがあります。何人かいると、例えばあるシーンで中心人物を決めたとしてその周りの背景を他の出演者でできる。どれぐらいの圧力で観客に踊りをみせたいのかっていう事も、人数を増やすことによってできたりしますね。具体的に数とか量で演出できることっていうのを、ソロだと1人でやらなくちゃいけないじゃないですか。そこの頭の使い方の違いっていうのは大きいですね。
ー“ひとり”で立てるダンサーによる群舞はかなり見ものになりますね。
そうですね。ダンサー達の面子が決まって同じ面子で毎週稽古して、っていう事を2年ぐらいしていますが、やっぱりメンバーが全員集まって稽古できる時ってものすごい嬉しいんですよ。もう、にやにやしちゃって。群舞の力もすごい上にキャラが立ってる。そういう状態のダンサーが集まって、1つの作品に挑むっていうのはいいですよね。
ーカンパニーで作る作品と、外部で作る作品とじゃその過程も全然違うんでしょうね。
そうですね、違いますね。カンパニーでは、沢山相談します。それで滞るときは滞るっていうのも割とあって。ただ、滞りが破れると一気に加速して作品ができあがっていくっていうスピード感もあったり。
ー元々、ダンス留学をはじめたきっかけが、その年々における擬似的なダンスカンパニーと言えばいいのか、そういう集団性を持ちたいなっていう事も一つの理由でもあるんですね。
関西はとくに、自作自演で作品をつくる振付家が多いという傾向がありました。そこで、他者に振り付けるケースが結構少なかったなぁと。それで集団でつくる、メンバーがなにかを共有している中でつくることをやってみたいなと思いました。ダンサーもそういう中で育っていくのではないかなって思っていました。ダンサーが育まれていく環境について、平原さんはどう思われますか。
僕も全く同感です。 僕も東京で活動していて思うのが、友達同士で作品を発表したり、友達同士でユニットを組むってすごく危険な一面もあるなと思うのです。すごく内側に向いていますよね。活動としてはいいと思う。ただ作品としてのクオリティはどうか。いい作品をつくろうと思ったら、いいダンサーを使うのが当たり前で。そういう意識がない振付家志望の人間と、ダンサーも自分よりキャリアのある人間から振付を得たいと思っていないダンサーが一緒に仕事をしたところで、そこには1つ閉塞感を感じるべきだし、閉鎖的な世界でやっているなっていうのを感じないと次にはいけない。次にはいけないような状況が、東京も随分長いなって僕は思うんですよね。 プロの振付家を呼んで、創作も一定の期間あって、ダンサー志望の人間がノウハウを得る。自分の人生の期間を明け渡してその場に身をおく、ていうのはかなりいい機会だと思います。
ーこの留学に迷ってる参加者が結構いるのではと想像しています。その人たちにむけて、背中を押すようなコメントをいただいてもよろしいですか。
なにかの世界でやっていくっていうのは絶対大変なことです。八百屋さんも野菜のプロとして、一から学んだから八百屋さんになれたりしている訳で。なぜダンサーがそれを欲しないのかって僕はすごく疑問です。自分を高いところにもっていきたいのだったら、今高いところにいる人と一緒になにかをやるべきだし、学ぶべきであって、そういうことに時間を割ける時期と割けなくなる時期っていうのはあるので。
もし迷ってるってことはタイミング的にやれる可能性はあるってことかもしれません。もし可能性があって迷うぐらいであれば、僕は少し無理してでもやったほうが確実にいいと思いますよ。
(聞き手:横堀ふみ、写真は平原慎太郎さんから提供)