Artist Interview vol.5 余越保子
ー余越保子さんにとって、作品をつくられるときの動機はどのような所から生まれていますか?
作品によります。作品のアイデアがあって、ダンサーを探す場合と、ダンサーが先にあって、この人に振り付けたいからこの作品なんだ、っていう場合。ふた手に分かれますね。
最新作の「ZERO ONE」の場合は、福岡まな実・さわ実の双子の姉妹に振り付けようということから起こしていきました。その前に作った「ベル」は、作品の構想があって、そこからオーディションをして、ダンサーを選んでいきました。そういう意味で、ダンスは人間が作品なんです。ダンサーが作品なので、ダンサーなしには、ダンスはありえない。誰が踊るかによって作品は大きく影響されます。
どんな作品をつくるかっていうのは、自分の中にあるいろんな“問い”ですね。問いに答えがあまりにもない場合、まったく分からない場合に作品をつくろうとします。すでにわかっていることはダンスにしても成立しないので、わからないことを作品にします。
ー “わからない”ということを作品にしていく過程は、どのようにして積み上げていくのでしょうか?
作品をダンスが導いてくれるところに、自分がついて行くって感じです。作品がわたしを導いていく。自分はその案内人であり、そこに仕える人間と言えます。ダンサーにもそのように演出しますね。あなたが主役なのでなくて、作品が主役です、と。
あなたを見たいのではなくて、あなたの中から生まれてくる作品っていうものを、皆でみていこうっていう姿勢です。だから、個人があまりにも我が強くなると、作りにくくなる。
ー“私が”、っていう強さは必要ない。
ダンサーの表現や、自分のこだわりがあまり強くなると、作品作りには邪魔になってくる。その辺のさじ加減がすごく難しいです。もちろん、こだわりがあるから、ダンサーがより良くなっていくのだけれど。そのこだわりを、どういう風に料理していくかってのは、振付家の腕にかかってくる。ダンサーにこだわりがないと困るし、こだわりがありすぎても困る。
ーこれまで、高校生のように、いわゆるプロの“ダンサー”ではない人とも一緒に作品をつくられていますね。
高校生はだいたいダンス部の生徒でした。高校生でダンサーじゃなかったのは「福島県立いわき総合高校」の生徒達で、彼らは演劇部の生徒さんでした。その時は、福島に行ってつくることのが目的だったので(注釈:2012年3月実施。いわき総合高校の演劇部の生徒達と作品を制作し上演した。)。他の場合はダンサーを目指している生徒を対象にしています。
ー保子さんにとって、この人と一緒につくってみたいなと思えるポイントというのはどのようなものでしょうか?
作品に必要な人ですね。この作品にはこの人はぴったりだけど、この他の作品には全然向かないということがあります。1人のダンサーとずっと継続して組んだことがあんまりないですね。作品によってダンサーが変わるタイプです。キャスティングに近いのかな、演劇の。だけど、シナリオがあって、このキャラクターっていうことでもないから。でも、ダンサーに会って、この人につくりたいっていう場合は、その人に合わせた作品をつくっていくっていうことになります。「ZERO ONE」の場合はそうですね。この2人のおもしろさがどうしたら一番出るのかなっていうのを考えました。
ーどのくらい作品制作に時間をかけられますか。
材料集めのようなことから、資金集め、劇場を探すということも含めて、全部あわせると2年。2年はかかりますね。すごい大変な時は3年。単発で受ける仕事の場合は2週間か3週間で作ります。そういう時は、お膳立てされた所に私が入っていって、そこにいるダンサーに会ってつくる。ダンスって割と簡単につくれるんですよね。(笑)
変な言い方だけど。。。それが、「作品」というある種の個体の世界観をもったものにする場合は、時間も労力もコミットメントも半端じゃないですね。2年間同じことをずっと考えて突き詰めていくっていうのは、そこに徹する心意気と妥協のなさが、かなり必要とされます。あと、責任を要求されます。(アメリカの)劇場のプレゼンターと組んだら、“2年後には、助成金をとってきて、公演をこのような形で打ちます”、と言い切って、責任をとってから作品制作にかからないといけない。なので、作品の強度がとても強くないと2年も3年もずっと続けられないのです。ダンサーをひっぱっていくのも私だから、やる気を常に盛りたてていく、チアリーダー的な役目も振付家には必要ですね。
ーただの思いつきだけでは無理ですね。
思いつきではね、作れない。大体ロクなものができないから。思いつきの作品っていうのは。あ!って思っても、これは思いつきだなと勘でわかるわけですよ。だから、思いついても、プランにしない。すごく深くて遠い道だけど、これは歩く甲斐のあるものだと思うと、そこに尽くしてみますかと。
ーなかなか日本で、2年・3年というスパンは難しいですね。1つの作品に。
今は日本で、つくってますけど。そういう作り方がはたして日本で可能かどうかはわからないです。どうなんだろう。。。
ー現在の日本では、毎年、お金を集めて新作つくって、、というスパンが主ですね。
それは、わたしは全然悪いことだと思ってないんです。そういうアウトプットする機会と作品が短期間で出来る作家だったら、効率的には絶対そのほうがいいわけですよ。プロとしても、そっちのほうが仕事として強いし、コストもかからない。自分は残念ながら向いてないというか、そっちにね。(笑)
ー質問を変えて、先ほどの話とも繋がってくるのですが、保子さんにとっていいダンサーだなと思えるダンサーってどういうダンサーですか。
素直な人。それに尽きますね。素直なカラダかな。素直なカラダっていうのはやっぱり振付しやすいです。素直なカラダのほうが、引き出しが多いから。膨らませる事ができるし、余白が多い。
ー動ける、動けないはあんまり関係ない。
動けるとかはあんまり考えないですね。その人のセンスと…。ダンスっていうのは、紡いでいくものなんですね。時間芸術だから。できあがったものをポンと見せるのではなくて、つくったものを舞台の上で再構築していく、舞台上で作りなおすって感じですね。その時に、瞬間にむかう意識が素直で、かつ、いつも新しい気持ちでいれたら、すばらしいダンサーです。でも、技巧のある上手い人は、そういうことが反対に難しい場合があります。技術に頼りすぎるから。私の場合は、リハーサルでいい瞬間がでたときに、このいい瞬間をそのまま同じく本番でもう一度立ち上げることが不可能なことを知っている。だから1回壊さないといけない。ダンサーをぎりぎりの所に立たせて危うくしてから向かわせるところにもっていきたい。そういう状態にいつも向かうことへ興味がある人っていうのは、基本的に素直じゃないと無理だと思います。それは、私の言うことを聞いてくれる素直な人っていうことではなく。そういう意味の素直さのことです。
ー保子さんとって、先ほど仰った“いい瞬間”ってどんな瞬間ですか?
いい瞬間…時間の感覚がないみたいな。長いとか短いとか、そういう時間の感覚さえもなくなる、充実して満ち満ちてる時がありますね、ダンスをみていると。作品の最初から終わりまでいい瞬間がずっとあるという作品に立ち会うのはすごく難しいし稀です、とくに本番では。ただ、リハーサルの中でそういう事が起きることがよくあるんですよ。特に、新しくマテリアルをつくっている時、ダンサーが自分でやってることが腑に落ちて、いきなりアウトプットできた瞬間に多い。そういう息を呑むすごい瞬間があります。そういう瞬間は本番ではなかなか出てこないものです。つくっている時にしか見れない。そのことが面白くてやっているかもしれないです。舞台が好きっていうよりも。(笑)
ーその瞬間をいかに本番の中で立ち上げることができるのかという感じですね。
そうですね。そこに、私とダンサーがどのようにして持って行くのかっていうことを切磋琢磨して、色々と話し合って、リハーサル積んで、これ切って、これ貼って、っていう作業がプロダクションのプロセスになっていく。
ー最後の質問です。保子さんが作品をつくり続けているモチベーションは何でしょうか?
うーん。なんでしょうね。日本にいるとコミッション(注釈:作品制作/上演の委嘱)がどんどん入るとかでもないでしょうし。振付家がわたしの周りに、そんなにいるわけでもないので。。。ニューヨークですと、振付家がいっぱいいて、毎日のように作品が世に出ていて、自分も作家として追い立てられる感じがあるんですよね。日本はそういう状況ではないから。そうすると、本当につくりたいものしかつくらなくなるでしょうね。でも、つくってるときが一番楽しいですね。なにかに繋がる感じがありますよね。私は日本・海外と移動が多いので、作品だけが接点なんです。ニューヨークにいたら、この質問に対する答えはまた違ったかと思うのですけども。日本に拠点を移して、まだ1、2年なので、日本のアーティストとして生きていくのを体験中。発見中です。
(聞き手:横堀ふみ、写真は余越保子さんから提供)